I was born.
 
吉野弘


 英語を習い始めて間もない頃と言うから、僕が中学一年生の頃の回想シーン。英語を習い始めたと言うことが、後々影響してくる。
 ある夏の宵、寺の境内、とくれば幽霊を連想するが、おりしも向こうから幽霊のような女が近づいてくる。青い夕靄の奥から、白い服を来た女が、物憂げに、ゆっくりと浮き上がってくる。白いイメージがさらに幽霊と重なる。しかし、女は生命を宿している。といえば生のエネルギーに満ちているようだが、この生は死と裏腹である。
 僕は、生命の誕生の神秘にうたれて女を見守っていた。しかし、人をジロジロ見ては失礼だし、思春期に入り性に芽生える頃でもあり、そのことを父に気取られはしないかと気兼ねしている。生の芽生えというのは恥ずかしいものである。
 そうこう考えている内に、女が過ぎていく。
 その間に多感な年頃だった僕の発想は飛躍する。身重の女→胎児が生まれる→(飛躍)→英語では「I was born」→受動態→生まれさせられる→自分の意志ではない。今となっては単純な発見だったが、英語を習い始めた僕にとっては大発見だった。僕は興奮して父に伝えた。しかし、父の受け取り方は違う。「生まれさせられる、自分の意志ではない」と言われて、息子に責められているような気持ちになる。父からいえば、子どもを生ませたのである。妻にとっても、加害者の立場になる。しかも、妻は子どもを生んで死んでしまった。
 父はしばらく考えながら歩く。そして、僕にとって思いがけない話をする。父は、僕を生んで死んでしまった母親の話と重ねて、蜉蝣の話をする。蜉蝣の雌は、細い腹の中に喉元までぎっしり卵が詰まっている。そして、卵を生んで2、3日で死んでしまう。卵は目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみ、淋しい光の粒々のようである。出てくる言葉は、「せつない」である。そして、母も、お前を生み落としてすぐに死なれた。
 その言葉の後、僕の記憶は途絶えている。強烈な言葉だった。残っているのは、「ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体」というイメージ。その時の僕は、父の真意はわからなかったのだろう。でも、直感的に感じたのだろう。そして、
自分が父親になった今になって、あの時の父の話の意味と、その話をした父親の気持ちが痛いほどよく分かる。そして、それを詩にしたのだろう。


1.【説】教師が音読する。
2.【指】生徒に音読させる。
 ・1回目は、一斉に。
 ・2回目は、1文ずつ交互に。
 ・3回目は、順番を変えて。
3.【指】ノートに感想を書かせる。
4.【交】感想を発表させる。

5.題名について
 1)【L1】I was born. を訳させる。
  ・私は生まれた。
 2)【L1】文法的に説明させる。
  ・受動態
  【注】日本語では気づきにくいことを確認する。
 3)【L2】省略されている部分を補わせる。
  ・by my mother。
 4)【L2】my motherを主語にして書き直させる。
  ・My mother bore me.
  ・母親が自分の意思で私を産んだ。
 5)【L2】my fatherを主語にして書き直させる。
  ・My father made my mother  bear me.
  ・父の意志で母に私を生ませた。

5.設定を考える。
 1)【L1】いつか。
  ・英語を習い始めて間もない頃(中学1〜2年生。15、6 才)
  ・或る夏の宵
 2)【L1】場所は。
  ・寺の境内
 3)【L1】出てくる人物は。
  ・僕
  ・父
  ・女
  ・(母)回想の中で登場する。

6.女について
 1)【L1】様子は。
  ・青い夕靄の奥から浮き出るように
  ・白い女(服装が白っぽい、イメージが白い)
  ・物憂げに、ゆっくりと
  ・身重らしい
 2)【L2】どんな感じがするか。
  ・幽霊のような感じ→生命感がない。
  ・身重らしい→生命感がある。
  ★身重であるのに、生命感がないことに注意

7.僕の白い女への気持ちについて
 1)【L3】なぜ「父に気兼ね」したのか。
  ・性に目覚めたと父に思われたくなかった。
  ・人をジロジロ見るのは失礼だから。
 2)【L2】なぜ「女の腹から眼を離さなかった」のか。
  ・「世に生まれ出ることの不思議に打たれていた」
  ・生命の誕生に好奇心を持った。

7.「I was born」について
 1)【L2】何から何への飛躍か。
  ・身重の女
    ↓
  ・生まれる
    ↓(英語では)
  ・I was born
    ↓
  ・受動態
    ↓
  ・生まれさせられる
    ↓
  ・自分の意志ではない
 2)【説】生物的生理的な現象から、英語の文法的へ。
 3)【L2】飛躍している様子を表す表現上の工夫は。
  ・「女はゆき過ぎた」が1行で1連になっている。
  ・時間の経過を表現する。
 4)【L1】なぜ英語の文法に飛躍したのか。
  ・中学で初めて英語を習い始めたから。
 5)【説】この年齢が思春期の入口と重なる。
 6)【L1】それを父に伝えた時の気持ちは。
  ・無邪気。
  ・ただ、発見した喜びを伝えたかった。
 7)【L1】父はどんな気持ちで聞いていたか。
  ・「怪訝そうに」
   ・突然、脈絡もなく言われたので、息子が何を言いたいのか理解できなかった。
  ・「驚いた」
 8)【L3】なぜ驚いたのか。
  ・息子が、自分の意志で出生したのではなく、無理矢理に出生させられたと、抗議していると思ったから。
  【説】受け身には被害者的なニュアンスが含まれている。
 9)【説】僕の思いと父の思いがずれている。
 10)【L1】指示語に注意する。
  ・それを察する=どんな驚きで、父は息子の言葉を聞いたか。
  ・この事=I was bornが受動態であること。

8.父の話について
 1)【L2】なぜ僕にとっては思いがけなかったのか。
  ・僕は英語の話をしていたのに、父は、昆虫の話をし始めた。
  【説】父の話も、僕にとっては飛躍していた。
 2)【L1】蜉蝣の特徴は。
  ・生まれてから二、三日で死ぬ。
  ・卵だけは腹の中にぎっしり充満していて、ほっそりした胸の方まで及んでいる。
 3)【L1】父は蜉蝣や卵をみてどう思ったか。
  ・一体何の為に世の中に出てくるのか。
  ・目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみ。
  ・淋しい光の粒粒
  ・せつなげ
 4)【L2】父はなぜ蜉蝣の話をしたのか。
  ・母との共通点を感じさせ、息子の抗議に答える。
 5)【L2】母との共通点は。
  ・僕を生み落としてすぐに死んだ
  ・僕の肉体がほっそりした胸の方まで息苦しくふさいでいた。
 6)【L2】母の死に敬語を使っている理由は。
  ・生命を生み出す偉大な存在であるから。
 7)【L3】父が言いたかったことは。
  ・生命を残して死んだ母の気持ちを理解してほしい。
  ・受け継がれる生命の尊さ。

9.僕の気持ちについて
 1)【L2】父の話によって灼きついたものは。
  ・白い僕の肉体
 2)【L3】白い肉体が、詩全体にどのようにつながる。
  ・白い僕の肉体
   ↓
  ・白い女
   ↓
  ・胎児
 3)【L4】僕の気持ちは。
  ・母の切なさ。
  ・母への感謝。
  【注】当時の僕は幼かったので、父への謝罪や母への罪悪感まではない。



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